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レダは日本の競走馬。1953年春の天皇賞を制した。 秋の天皇賞を優勝した牝馬はヒサトモ、トウメイ、プリテイキャスト(以上長距離レース時代)、(以下競走距離変更以後)エアグルーヴ、ヘヴンリーロマンス、ウオッカ、ブエナビスタなどがいるが、春の天皇賞を優勝した牝馬は2014年現在レダ1頭のみである。 同期にはタカハタ、クインナルビー、スウヰイスーなどの強豪牝馬がいて、牝馬が強い世代として知られる。牡馬クラシック三冠では結局ひとつも牝馬が勝つことはなかったが皐月賞と東京優駿(日本ダービー)で牝馬が1番人気に推され、三冠競走すべてで牝馬が2着に入った。レダを含めて牝馬の天皇賞馬が2頭いる。 == 戦績 == 馬齢は旧表記とする。 3歳夏に東京競馬場でデビューしたレダは、桜花賞まで9戦8勝うちレコード勝ち3回、ほとんどのレースで2馬身以上つけて勝つなど、飛びぬけた実績を誇っていたため、桜花賞でも1番人気に支持された。しかし結果は2着、1着は牝馬二冠を達成するスウヰイスーだった。 その後オープン競走を優勝して東京優駿に出走するも、クリノハナの10着と奮わなかった。菊花賞にも出走するがセントオーの4着に敗れた。 5歳春になると、前年の不振から立ち直りを見せ、迎えた天皇賞(春)では1番人気に支持されていた。そして、2着クインナルビーに2馬身1/2差をつけて勝利した。この年の天皇賞(秋)ではクインナルビーが優勝し、春・秋の天皇賞を牝馬が連覇した。 その後6戦3勝2着3回と安定した成績を残したレダは毎日王冠に出走した。そこには、2年前の菊花賞優勝馬トラツクオー、天皇賞(春)2着馬クインナルビー、レダと同期の牝馬で皐月賞・日本ダービーともに2着のタカハタなど、実績馬がそろっていた。このレースでレダは転倒、競走中止となり、この怪我がもとで死亡した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「レダ (競走馬)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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